2022年10月15日土曜日

チャーリー・バワーズを知ってるかい?PT2! : Do You Know Charley Bowers ? :PT2 !

皆さん、こんちは。
本日は、チャーリー・バワーズ氏の経歴を御紹介。
チャップリンやキートンと聞けば、サイレント映画時代に大活躍した方々だと誰もが知っておりますが、同時代にシュールな特撮コメディ映画の奇才!だったバワーズ氏は、今日迄、映画史から殆ど忘れ去られておりました。
1960年代にフランスで彼の作品が見つかり、その後次々と世界各地で発見されていったのだとか。
現在、17作品程が海外版DVDやブルーレイで観賞可能との事。

本名:チャールズ・ レイモンド・ バワーズ。

1887年6月6日に米国のアイオワ州クレスコに侯爵家の血筋として生まれた。
5歳で綱渡りが出来た事が災いしたのか、6歳の時サーカス団に誘拐されたと本人は話してたそうです。
その後1910年代頃から「マットとジェフ」という漫画の漫画家としてキャリアを開始。
アニメーターでもあったとの事。
ちなみに「マットとジェフ」の原作者はバド・フィッシャーという方。

バワーズ氏は「マットとジェフ」のアニメーションも制作していたが、大変だったのか、別のアニメーション・スタジオ「バレ・スタジオ」に1916年頃連絡を取り、制作を依頼。
バワーズ・スタジオとバレ・スタジオはパートナーシップを組み、急成長を遂げる。
会社名を「バド・フィッシャー・コーポレイション」としたが、業界では、「バレ・バワーズ・スタジオ」として知られていた。
しかし、バワーズ氏の経営失敗により、責任を負わされるのを恐れたバレ氏は会社を辞め、バワーズ氏はフィッシャー氏により1919年と1921年に2回クビにされ、結果的に1923年に会社は倒産。
「バレ・バワーズ・スタジオ」は、後にアニメーション業界で活躍した監督やアニメーターが多く所属。あの「ウッディ・ウッドペッカー」の生みの親ウオルター・ランツ氏も、その1人だったそうだ。
その後、バワーズ氏は1920年代後半から彼が主演するスラップスティック・コメディ映画を
R-C 映画社と教育映画社の為に制作開始する。
現存する彼の作品は数作しか残ってないが、ライブアクションとアニメーションをミックスさせた「バワーズ・プロセス」は、今観ても凄い!の一言!

「It's a Bird. 」と「Wild Oysters.」等のトーキーの作品も数作制作してます。
晩年には、子供の為の絵本も描いていたそうです。

1930年代に、ニュージャージー州に移り住み、ジャージー・ジャーナルという地元の新聞に漫画を8年間連載。
ひどい関節炎の為に絵が描けなくなった頃からは、彼の監督のもと、奥さんに描かせていたそうだ。
しかし長い闘病の末の1946年11月26日にニュージャージー州パターソンにて永眠。
享年59歳だった。
次回に続く!

0 件のコメント: