2020年9月30日水曜日

追悼 ロン・コッブ氏:RON COBB

皆さん、お疲れ様です。
アメリカ人で、オーストラリアの漫画家、イラストレーター、フイルム・プロダクション・デザイナーの肩書きを持つ巨匠ロン・コッブ氏が2020年9月21日、83歳で亡くなられました。
死因はレビー小体型認知症による合併症。
(病状末期には、奥さんと息子さんの事も認識出来なくなっていたそうだ。)
今回は、多くの人々に多大な影響を与えたアーティスト : コッブ氏への追悼として、氏の経歴等を御紹介したく思います。
ロン・コッブ氏経歴 : 
本名:ロナルド・レイ・コッブ(Ronald Ray Cobb)
1937年9月21日カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ育つ。
(皆さんもお気付きだと思いますが、コッブ氏は、誕生日に亡くなられました。日本の映画監督 : 小津安二郎監督も自身の誕生日に没。)
奥さん : ロビン・ラブさん
息子 : ニッキー
1972年にオーストラリアへ移住し、人生の大半をシドニーで過ごした。

18歳で何の基礎トレーニング等も無しでディズニースタジオに入社。
動画担当アニメーターとして働き始め「眠れる森の美女:1959年」で作画を担当するまでになったが、映画の制作が終了した1957年に解雇される。
その後、3年間様々な職に就き、1960年に米軍へ入隊。
1963年に通信隊の製図技師としてベトナム戦争へ。

ベトナム戦争から帰還後の1965年、ロサンゼルス・フリー・プレス紙で風刺漫画を描き出す。
この頃から F.J.アッカーマン氏がコッブ氏のエージェントとなり、フリーのアーティストとしても活動を始め、LPのデザイン画や「フェイマス・モンスターズ・オブ・フィルムランド」、「モンスターズ」等の表紙画等も描く。
1969年には、エコロジーのシンボルマークもデザインしております。凄!
1974年コッブ氏は、再び映画界へ戻る。
その映画は「ダーク・スター」!オリジナルの「ダーク・スター」外観デザインは、ハウス・オブ・パンケーキのナプキンに描いたという。
(多分、友人ダン・オバノン氏とハウス・オブ・パンケーキで話をしながら描いたのかも?)

その後、友人ダン・オバノン氏の呼びかけで、あの未完の大作:ホドロフスキー監督版「デュ―ン:砂の惑星」に参加。
1970年代にコッブ氏は、ジョン・ミリアス監督へ絵をプレゼントしている。
この絵が元で「スターウォーズ」に参加し、カンティナ―のエイリアンを数体デザイン。
ジョージ・ルーカス監督がこの絵を見ていたのだ。

以前から友人であったジョン・ミリアス監督の依頼で「コナン・ザ・グレート:1982年」へ参加。「コナン」では第二班監督も務め、初めてプロダクション・デザイナーとしてクレジットもされた。
「コナン」には、もう一人プロダクション・デザイナーがいる。
ウイリアム・スタウト氏である。
実は、ウイリアム・スタウト氏は、コッブ氏に雇われ「コナン」へ参加し、コッブ氏と共に2年間働いた。
スタウト氏は、その時の事を「私の人生で最も素晴らしい2年間であり、毎日、コッブ氏から新しい事を学んでいた。
彼が映画のプロダクション・デザイナーという職を開拓したのだ。」と証言しており、今回のコッブ氏の訃報について「我が友、師匠」と追悼されております。
最後にコッブ氏について面白いエピソードを幾つか御紹介。
E.T.の前にスピルバーグが製作予定だった「Night Skys」では、ジョン・セイルズと共同で脚本を執筆し、宇宙人のデザインも担当したが、棚上げ。
その後、スピルバーグは、独自で企画を変更し、「E.T.」を監督した。

また、テレビ「新トワイライトゾーン:1985年~1987年」の数エピソードの脚本を奥さんと共同執筆。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンをタイムマシンに改造するというアイディアはコッブ氏のもの。
「スターファイター」を従来のミニチュアでなく、CGIで特撮が制作できたのは「クレイ・スーパーコンピューター」を使用可能にした氏の功績。
コマ撮り関係では、やっぱり「ロボ・ジョックス」ですね!

オーストラリアで「Garbo」というコメディ映画を1992年に1本監督しております。
NASAがスペースシャトル4度目の離発着ドキュメント記録に招待したアーティスト10人にも選ばれ、その時の絵2点は現在、スミソニアン博物館にて展示中。

全部書けない程、氏の功績はとてつもないものでした。
このブログをもって氏への追悼と共に、御冥福をお祈り致します。

フィルモグラフィー
眠れる森の美女:1959
ダークスター:1974
ホドロフスキーのデューン(未完):1975
スターウォーズ:1977
エイリアン:1979
未知との遭遇(特別編)1981
レイダース /  失われた聖櫃:1981
ナイトスカイズ(未完)1982
スターファイター:1984
新トワイライトゾーン:1985年~1987年(テレビ)
バック・トゥ・ザ・フューチャー:1985
ロボ・ジョックス:1986
アビス:1989
リバイア・サン1989
トータル・リコール1990
Garbo:1992年
トゥルーライズ:1994
第9地区:2009

2020年9月24日木曜日

第1回:トム・サリバン Tom Sullivan Part1

 

皆さんお疲れ様です。

本日は、「死霊のはらわた」で、あの凄まじい死霊の特殊メイク&モデルアニメーションを担当したトム・サリバン氏を御紹介!

氏の経歴については資料が少なく、調査に手こずりましたが、詳細判明!

トム・サリバン氏は、一般的にホラー映画の特殊メイクアーティストと思われてますが、実際は、特殊メイク、小道具制作、コマ撮りアニメーション、マットペインティング、ストーリーボード、デザイン画、イラスト、ポスターアート等オールマイティーなマルチタレントなのだ !

コマ撮りアーティストには、もう1人マーク・サリバン氏がおりますが、別人です。(マークさんについては、別の機会に紹介予定!)

トム・サリバン氏略歴 :

1954年ミシガン州マーシャル生まれ。

現在66歳。

奥さん:ペニーさん

弟:マイク 1955年生まれ。

1954年ミシガン州マーシャルで生まれるが、3ヵ月後ミシガン州バーミンガムの隣フランクリン郊外へ引っ越し、約8年間そこで幼少期を過ごした。

5歳の時テレビでオリジナルの「キングコング:1933年版」を弟マイクと一緒に見て以来キングコング狂と化す。

その時の事をインタビューで「土曜の朝、テレビをつけたら、大きなゴリラとトカゲが闘ってて、雷に撃たれた様な衝撃を受けた!」と語っており「それからは、寝ても覚めても頭の中がキングコング」。

いつもコングになって遊び、近所の森の巨大な倒木は「フェイレイが挟まった木」だとも思ってたとの事。

一家はトムが8歳の頃、イリノイ州ウィートンへ再度引っ越す。

そこは当時、近所に大勢子供がおり、安住地域だったそうで、現在も氏が暮らす場所。

多分こんな感じ。

9歳の頃、初めて恐怖映画を観る。その映画というのがウィリアム・キャッスル製作「地獄へ続く部屋:House on Haunted Hill」!

ある夜ベビーシッターに両親が帰る夜中2時前に映画は終わるからと、お願いして恐怖に怯えながらテレビのミッドナイトシアターで観たのだそうだ。

その頃には、F J アッカーマン氏の「フェイマス・モンスターズ・オブ・フィルムランド」が愛読書で、モンスター写真や記事等を収集するモンスターマニアに!(バックナンバーも全部所持!)

更に図書館と本屋に入り浸り、特撮や特殊メイクの調査&探求に励んでいた。

コマ撮り狂と化していたトムは、やはりアルバイト(芝刈り機で庭掃除)でお金を貯め、念願の8mmカメラを購入し、コマ撮りアニメ制作をはじめる。

手始めに人間をコマ撮りし、次にGIジョー(オモチャの人形)や粘土の恐竜でコマ撮りを始め、続いてワイヤーアーマチュアでパッペットを次々こしらえて作品作りに没頭。

その後、映画「猿の惑星:1968年」を観た影響で、特殊メイクも始める。

やはり最初は、猿の惑星メイクだったとの事。(猿の惑星メイク:1970年代流行した特殊メイク。)

また、絵の上手い同級生が女子にモテモテなのを目撃してから、それまで適当に描いてた絵に全力で取り組み始めた。(下心が原動力 W)

以下、サリバン氏のヒーロー達。

ウィリス・H・オブライエン

レイ・ハリーハウゼン

ジム・ダンフォース

カレル・ゼーマン

フランク・フラゼッタ

ディック・スミス

(全員巨匠!)

オブライエンの奥さん:ダーリン・オブライエンさんにも生前お会いしたそうでビックリ!(やはりキングコング狂!)

また影響を受けたファンタジーアートの巨匠 : フランク・フラゼッタ氏の自宅にも伺って絵を見せてもらったそうだ!凄!

当然、コマ撮りの巨匠レイ・ハリーハウゼン氏にも会ってます。

今回は、ここまで!

続報に期待して!

2020年9月22日火曜日

秋分の日

 皆さん、お疲れ様です。

今年も昼夜平分時「秋分の日」が、やって来ます ! 

皆さんも御存知だと思いますが、秋分の日を過ぎると夜が長くなりますね。

英語で「Equinox」!

毎度の事ながら、モデルアニメ全開ホラー映画「Equinox」について書いてみたいと思います。

このコマ撮りの怪作は、あのILM特撮監督デニス・ミューレン氏による作品ですが、デビッド・アレン師匠のコマ撮り初期作品でもあります。

劇中に登場する怪物達は、アレン師匠が制作したパペット達です。

まずは、怪物「タウラス」ですが、このパペットを使用して制作した短編映像も有ります。

その作品には、若き日のアレン師匠と友人が動物園にいくと、怪物に遭遇し、家まで逃げ帰るが、怪物が家まで追って来るというオチ。(アッカーマンらしき人物も登場。)

怪物「タウラス」の腕のアーマチュアは、片方は、普通のボール&ソケットですが、もう片方は、本当の骨格の様にしたかったそうで、ボール&ソケットを2組使用して制作されておりました。

当方らが、初めてデビッド・アレン スタジオを訪問した際に倉庫に案内してくれ、本物の「タウラス」を見せて細かく説明してくれたのが懐かしいです。


劇中、地獄のシーンに登場する骸骨は、師匠が初期に制作した巨大な骸骨が汽車を襲うという実験映像の為に制作した物でした。この頃は、まだアーマチュアの制作を試行錯誤してた様で、まち針のボールを使用してパペット制作をしており、スタジオで実際そのパペットを見た時、根性で制作した感じがしました。


アレン師匠は、ハリーハウゼン氏に手紙でパペットの制作方法を聞いた様ですが、ハリーハウゼン氏は、パペットの制作方法は、教えられないと返事してます。(厳しい ! )
そのテスト映像がYoutube動画で観れます!
以下、確認してみて!

「エクイノックス」のコマ撮り撮影風景写真には、アレン師匠手作りのサーフェイスゲージが写ってます。

それは、コンパスを利用したお手製のゲージですが、師匠は、そのゲージをワーゲンコングのアニメート時も使用してます。

この「エクイノックス」当方らは、「死霊のはらわた」のモデルになった映画だと思いますが、皆さんは、どう思いますか?

何故なら若者達が森でラヴクラフト的な要素の「魔道書」や「怪物」等を含めたトラブルに巻き込まれていくという似た部分が色々見られるからです。

それでは、秋分の日に映画「エクイノックス」を観賞してみるのは、いかがでしょうか。

皆さんも予告編から確認してみて!

2020年9月20日日曜日

「なまけものに なりたい」水木しげる著

 皆さんお疲れ様です。

本日は、漫画家の故水木しげる大先生の本の御紹介。

漫画ではなくてエッセイ集です。

「なまけものに なりたい」水木しげる著 河出文庫

河出文庫から水木先生著作シリーズとして2003年に出版されております。

「妖怪になりたい」が先に出版されておりますが、題名が水木先生らしい この本から紹介したいと思います。

この文庫本には、水木大先生による「親切なる漫画のかき方」という珍しい漫画入門が収録されており、とても興味深いです。

手塚治虫大先生や石ノ森章太郎大先生、他多数の漫画家による漫画の書き方は普通よく見かけますが、水木しげる大先生によるものは、初めて読みました。

色々な点で実用的な漫画の書き方入門になっています。

この本には、他にも大先生の色々なエッセイも多数収録されており、それらを読んで水木大先生流人生論というか生き方のヒントみたいなのを感じました。

売れっ子漫画家として忙しかった大先生は、「なまけもの」に憧れていたんだなと思い、自分の日々の生活も見直してみようと思った今日この頃でもありました。

大先生の銅像と石碑にも「なまけ者に なりなさい」とあります。

是非、皆さんも一読してみて!

2020年9月18日金曜日

コマ撮り作家マーク・スペス

 皆さんお疲れ様です。

前回、サーフェイスゲージ制作方法、各部名称等紹介しましたが、今回はアメリカ人コマ撮り作家マーク・スペスさんのコマ撮りアニメ制作方法!

ゾンビ・パイレーツというコマ撮りアニメ作品を制作配信してるスペスさん、2000年からクレイメーション等コマ撮りを始め、コマ撮りアニメのショップを運営中。

アーマチュアやクレイアニメ制作How to本販売、フィギュア彫刻制作等の仕事もしてるそうです。

2013年にアップされたこのコマ撮りアニメ制作動画は、デジタル化された現在では使用しない16mmカメラの種類及びフィルムについて説明してますが、アナログ感全開で撮影機材をDIYしてる部分がコマ撮りアニメ制作に関しては、凄くためになり参考になります。

スペスさんは、ウィル・ヴィントン氏から非常に影響を受けた様で、レーズンズのクレイパペットを所有しており、クレイメーション用ワイヤーアーマチュアの制作方法とボール&ソケットアーマチュアについても解説してます。

サーフェイスゲージ使用方法及びアニメート方法に関しての解説は、今まで知らなかった方法論等あり、ビックリ!

日本語字幕無しの3時間40分超え動画!ですが、マークさんの丁寧な解説とメイキング映像を見て、皆さんもコマ撮りアニメを制作してみたくなるかも?

それでは、皆さんも確認してみて!

2020年9月15日火曜日

デビッド・リンチ監督の天気予報

 皆さん、お疲れ様です。

今日は、いかが過ごされましたか?

最近は、台風等で天気が荒れて大変ですが、本日は、「デビッド・リンチ監督のL.A.天気予報」の御紹介。

2006年頃?から不定期でL.A.の天気予報を伝えているリンチ監督。最近5月頃から殆ど毎日Youtubeで天気予報を伝えております!

去年、2019年10月27日に第11回アカデミー名誉賞を受賞した監督。

現在74歳。

この「L.A.天気予報」を最近確認して、ちょっとビックリしました。

監督が急に以前より痩せているからです。

動画を見る分には、お元気そうで何よりですが、体調が心配です。

監督、御体御自愛下さい。

皆さんもリンチ監督の「L.A.天気予報」をYoutubeから確認してみて!

2020年9月13日日曜日

ピーター・クレイノウ(スニーキー・ピート)

皆さんお疲れ様です。
2009年、2013年にも二回、当方ブログ:コマ撮り日記で紹介した故ピーター・クレイノウ氏ですが、彼の経歴を再調査したので、御報告。

昔から特撮マニアの間では、「ガンビー」、「おかしなおかしな石器人」、「ターミネーター」等のモデルアニメーションで有名な特撮マン& モデルアニメーターとして知られており、特撮会社ファンタジー2フィルム・イフェクツ社の共同設立者でもありました。(もう1人は、社長だった故ジーン・ウォーレンJr.氏。)


ファンタジー2を訪問した際、故ジーン・ウォーレンJr.氏がスタジオ内を見学させてくれ、スタジオの隅を指さし、「ここでグレムリンのコマ撮りを撮影したよ。」と説明してくれたのを思い出しました。


以下、クレイノウ氏経歴:
1934年8月20日インディアナ州サウスベンドで、生まれ育つ。
映画と同じ位、音楽も大好きだったそうで、ミュージシャンのジェリー・バイヤードに影響を受け、高校生の頃からペダル・スチール・ギターの演奏を始めたそうだ。
1952年にアーネスティンさんと結婚。(なんと!クレイノウ氏は、18歳で結婚してたのだ。)
高校卒業後から直ぐにミシガン州の運輸省に勤務。数年間、高速道路、空港、鉄道等の整備工事に従事。
多分、その頃既に子供がいたのかもしれません。
その間、映画界やショービジネス界で働きたいという夢を持ち続けていたのでしょう。
1960年に意を決して本格的にロサンジェルスへ引っ越し、アート・クローキー氏のスタジオで「デイビー&ゴライアス」のア二メーターとして働き出しました。
続けて「ガンビー」のアニメーションも担当するようになり、クレジット無しで映画「不思議な世界の物語:1962年公開」の特撮にも参加。
ジーン・ウォーレンSr.の映画用特殊撮影会社:スタジオ・アンリミテッドでも働き出す。
1963年~1965年テレビ「アウターリミッツ」、1964年の映画「ラオ博士の7つの顔」等のモデル・アニメーションも手掛けました。


実は、クレイノウ氏には、モデルアニメーターの仕事以外にも別の顔がありました。
昼は、特撮マン&モデルアニメーター、夜は、ナイトクラブでバンドメンバーとして働いてたのです。
本当にマルチタレントですね。
その後、1968年頃アメリカで有名なアメリカン・カントリー・ロックバンド「フライング・ブリートー・ブラザーズ」というバンドに加わり、メンバーの1人スニーキー・ピートとしてペダル・スチール・ギターを演奏。セッションミュージシャンとしてもスティービー・ワンダーやジョン・レノン、リンゴ・スター、フランク・ザッパ等、超有名な方々と一緒にも仕事をしていたそうでビックリ!


氏のフイルモグラフィーを確認してみると、「スターウォーズ: 帝国の逆襲」に参加(クレジット無し)と有りました。
メイキング写真等でも氏の作業風景を見た事がないので、どのシーンを担当したのかも分かりませんが、とても興味深いです。
もし、誰か御存知でしたら、教えて下さい。
氏は、クレジット無しで多くの作品に参加しているにも関わらず、自身の名前がクレジットされなくても気にしてなかった?様です。
また、モデルアニメーターの故デビッド・アレン師匠のアシスタント: クリス・エンディコット氏の話では、アレン師匠が「クレイノウ氏は、とても働き者だった。」と語っていたそうで、アレン師匠らと同じようにチェック柄の服をよく着ていた感じだとクリスは言ってました。

後年、クレイノウ氏は、アルツハイマー病を煩い、療養施設に2006年から入院し、闘病中だったそうですが、54年間連れ添った妻アーネスティンさんや息子マーティン、アアロン、コスモ、娘アニタ、タミーを残して2007年1月6日にカリフォルニア州ペタルーマで亡くなられたそうです。


最後に生前のピーター・クレイノウ氏が映画「死霊のはらわた3」の為に骸骨をアニメートしている貴重なメイキング映像をYoutubeで見つけたので、御紹介。
サーフェイスゲージをモデルに当てるところ等、作業の様子が細かく撮られていたので、とてもタメになります。
皆さんも確認してみて!

2020年9月10日木曜日

イレイザーヘッド

皆さんお疲れ様です。

今回は、映画「イレイザーヘッド」について書いてみたいと思います。


これは、皆さんも御存知、鬼才デビッド・リンチ監督が製作に約5年をかけた初の長編映画であり、1977年に公開された後、カルト映画になった作品。(スターウォーズと同年公開 )
第6回(1978年)アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭黄金のアンテナ賞受賞!

何故、今回「イレイザーヘッド」なのかというと、この映画にコマ撮りのシーンが有るにも関わらず、殆どその事について取り上げられていないからです。(もし、有りましたら御一報下さい。)

劇中、主人公ヘンリーの夢の中に登場するワーム(ウジ虫の様な生物 : 多分、赤ん坊の初期形態) が、地面に潜ったり出てきたり画面内を右往左往してるシーンが有りますが、そこがコマ撮りです。(ワームは、多分粘土のパペットなので、クレイメーション?)

また、そのシーンの最後にワームが口を開き、口中へカメラがズームインしていくカットが、映画「デューン: 砂の惑星」のサンドワームに繋がるんだなと感じた次第。


「イレイザーヘッド」のDVD特典映像のメイキングやデビッド・リンチ監督についての本等で、「イレイザーヘッドが、いつまでたっても完成しないので、しまいにはセットをミニチュアで作って、登場人物等も人形で撮影しようと思ったぐらいだ。」とリンチ監督は、言ってます。
監督の初期短編映画は、アニメーションも有るので、コマ撮りが好きなのかも?
ちなみに「イレイザーヘッド」を撮影したカメラは、35mmのエクレールというフランスのカメラです。(初期には、アリフレックスも使用)


カメラマンとして2人クレジットされておりますが、最初の頃撮影を担当してたのが、ハーバート・カードウェル氏で、撮影中頃からカードウェル氏に代わって完成まで撮影を担当したのが、フレデリック・エルムズ氏。エルムズ氏は、「デューン砂の惑星」でも第二班で特撮パートの撮影を担当しており、後に「ブルーベルベット」の撮影も担当。
撮影助手は、キャサリン・E・コールソンで、「ツイン・ピークス」の丸太おばさんを演じた方です。
長々と書きましたが、皆さんも「イレイザーヘッド」のコマ撮りシーンを確認してみて!

2020年9月9日水曜日

フルムーン・スタジオ1993年

皆さん、お疲れ様です♪
当方らが在米していた1993年頃のフルムーン・スタジオ・ツアー動画を見つけました。
何度も通ったので、大変懐かしいですね。
皆さんも楽しんでみて!

2020年9月7日月曜日

サーフェイスゲージ

 皆さんお疲れ様です。

本日は、サーフェイスゲージを御紹介。

日本では、トースカンとも呼ばれてますね。

人形アニメーションが好きな方は、御存じだと思いますが、別名:ヘッドゲージ。

以下写真&説明書。



今回、Youtubeで凄い動画を見つけました!

なんと!サーフェイスゲージの作り方です。

コマ撮りアニメーションでは、アーマチュア制作とアニメーション作業の両方に欠かせないアイテム。

とても参考になるので、確認してみて!

ヒンズー語ですが、金属加工時のサーフェイスゲージ使用方法解説。

工業学校学生達のサーフェイスゲージ完成お披露目動画。