2020年10月6日火曜日

第2回:トム・サリバン Tom Sullivan Part 2

皆さん、お疲れ様です。

今回は、あのトム・サリバン氏についての続報です!

10代~20代とキングコング狂のサリバン氏は、バイトをしながら精力的にコマ撮りや特殊メイクの実験を続けていたようです。

愛読書の「フェイマス・モンスターズ・オブ・フイルムランド」以外で熟読した雑誌が、ドン・ドーラー氏発行の「シネマジック」というアマチュア向け特撮&特殊メイク専門雑誌 ! (当方らの愛読書でもありました。)


「死霊」等での「コマ撮りや特殊メイクのテクニックは、この本のおかげ」だとサリバン氏は、明言しております。

氏のコマ撮り作品は、ほとんど8mmの実験映像だった様ですが、中には、ストーリー物も。

ベトナム戦争へ行った米兵が、森に迷いこみ、様々な恐竜達に遭遇するという簡単な話だが、マスク合成を駆使し、米兵と恐竜の同一画面内合成を試みた作品だったそうだ。

観てみたいですね。

そんなコマ撮り狂のサリバン氏でしたが、1970年代頃からミシガン州立大学に通っていたペニーさん(奥さん)と付き合い始めたのだ ! (幸運の女神)

その頃、同大学でサム・ライミ監督は、自主映画の上映会(8mm)を開いたりと活発に活動。

ペニーさんが、たまたま校内新聞に掲載されたライミ監督、タパート氏とキャンベル氏達の記事をサリバン氏に見せた事で興味を持ち、自作のコマ撮り映像(8mm)を見せる為、上映会に出掛けて行く。

上映会後サリバン氏は、自己紹介し、コマ撮り映像を監督達に見てもらう。

その映像を観たライミ監督達は即、映画制作メンバーの一員に採用 !

手始めにライミ監督のサスペンス・コメディ長編映画「It"s Murder !:1977年」のサウンドエフェクトの一部とポスターを担当。

続いて「Crockwork:1978年」というスリラー短編作品にも参加し、タイトルを担当。

1978年にあの「死霊」のデモ短編作品「Within the woods」の特殊メイクを担当。

その後、「Book of the Dead」制作に参加する事になるのだが、この「ブック・オブ・ザ・デッド」は、皆さんも御存知の通り「死霊のはらわた」のオリジナル・タイトルですね。

サリバン氏は、この作品の特殊メイクを担当し、バート・ピアース氏やティム・フィロ氏らと「溶解エフェクト」も担当。(バート・ピアース氏の紹介ブログに詳細)

「ブック・オブ・ザ・デッド」は、1981年10月15日にデトロイトの有名な映画館でプレミア上映された。

サリバン氏は、そのプレミアに母親を連れて行き、上映中、隣の席で恐怖におののく母親のリアクションを見ていたそうだ。(笑)

トム・サリバン氏が、サム・ライミ監督達の映画制作グループの一員として活躍していた裏で、別の映画制作にも関わっていたのを皆さんは、御存知だろうか?

「The Cry Of Cthulhu」ザ・クライ・オブ・クトゥルーというH.P.ラヴクラフト原作を元にした映画で、1977年頃から制作が始まっており、サリバン氏は、1978年にこの映画の為にイラストやデザイン画等を描いていたのです。



この「ザ・クライ・オブ・クトゥルー」の特撮には、サリバン氏以外に今では考えられない程、凄いメンバーが予定されていました。

特撮スーパーバイザー : アーネストD フェリーノ氏

キャラクターデザイン : ライル・コンウェイ氏

特殊メイク : クレイグ・リアドン氏

しかも製作場所が、以外にも「死霊」と同じくミシガン州であったのです!

しかし、制作費等を含めた諸事情で、結局この映画は、お蔵入りとなってしまったのだった。

「死霊」には、クトゥルー神話の魔道書ネクロノミコンの様な「死者の書」が出てきたりと何故かラヴクラフト的要素が満載。

2つの映画の共通点としてサリバン氏が参加している事が重要なポイントなのではないかと思いますが、ライミ監督は、「死霊」の脚本を18歳の頃に書いたと言ってます。

ライミ監督は、1959年生まれなので、1977年に18歳。

サリバン氏がライミ監督と会ったのも1977年。

コマ撮り狂のサリバン氏は、「エクイノックス」も確実に観てたと思う。

皆さんは、どう思いますか?

今回は、ここまで ! 

再度、続報に期待して !

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