2020年9月13日日曜日

ピーター・クレイノウ(スニーキー・ピート)

皆さんお疲れ様です。
2009年、2013年にも二回、当方ブログ:コマ撮り日記で紹介した故ピーター・クレイノウ氏ですが、彼の経歴を再調査したので、御報告。

昔から特撮マニアの間では、「ガンビー」、「おかしなおかしな石器人」、「ターミネーター」等のモデルアニメーションで有名な特撮マン& モデルアニメーターとして知られており、特撮会社ファンタジー2フィルム・イフェクツ社の共同設立者でもありました。(もう1人は、社長だった故ジーン・ウォーレンJr.氏。)


ファンタジー2を訪問した際、故ジーン・ウォーレンJr.氏がスタジオ内を見学させてくれ、スタジオの隅を指さし、「ここでグレムリンのコマ撮りを撮影したよ。」と説明してくれたのを思い出しました。


以下、クレイノウ氏経歴:
1934年8月20日インディアナ州サウスベンドで、生まれ育つ。
映画と同じ位、音楽も大好きだったそうで、ミュージシャンのジェリー・バイヤードに影響を受け、高校生の頃からペダル・スチール・ギターの演奏を始めたそうだ。
1952年にアーネスティンさんと結婚。(なんと!クレイノウ氏は、18歳で結婚してたのだ。)
高校卒業後から直ぐにミシガン州の運輸省に勤務。数年間、高速道路、空港、鉄道等の整備工事に従事。
多分、その頃既に子供がいたのかもしれません。
その間、映画界やショービジネス界で働きたいという夢を持ち続けていたのでしょう。
1960年に意を決して本格的にロサンジェルスへ引っ越し、アート・クローキー氏のスタジオで「デイビー&ゴライアス」のア二メーターとして働き出しました。
続けて「ガンビー」のアニメーションも担当するようになり、クレジット無しで映画「不思議な世界の物語:1962年公開」の特撮にも参加。
ジーン・ウォーレンSr.の映画用特殊撮影会社:スタジオ・アンリミテッドでも働き出す。
1963年~1965年テレビ「アウターリミッツ」、1964年の映画「ラオ博士の7つの顔」等のモデル・アニメーションも手掛けました。


実は、クレイノウ氏には、モデルアニメーターの仕事以外にも別の顔がありました。
昼は、特撮マン&モデルアニメーター、夜は、ナイトクラブでバンドメンバーとして働いてたのです。
本当にマルチタレントですね。
その後、1968年頃アメリカで有名なアメリカン・カントリー・ロックバンド「フライング・ブリートー・ブラザーズ」というバンドに加わり、メンバーの1人スニーキー・ピートとしてペダル・スチール・ギターを演奏。セッションミュージシャンとしてもスティービー・ワンダーやジョン・レノン、リンゴ・スター、フランク・ザッパ等、超有名な方々と一緒にも仕事をしていたそうでビックリ!


氏のフイルモグラフィーを確認してみると、「スターウォーズ: 帝国の逆襲」に参加(クレジット無し)と有りました。
メイキング写真等でも氏の作業風景を見た事がないので、どのシーンを担当したのかも分かりませんが、とても興味深いです。
もし、誰か御存知でしたら、教えて下さい。
氏は、クレジット無しで多くの作品に参加しているにも関わらず、自身の名前がクレジットされなくても気にしてなかった?様です。
また、モデルアニメーターの故デビッド・アレン師匠のアシスタント: クリス・エンディコット氏の話では、アレン師匠が「クレイノウ氏は、とても働き者だった。」と語っていたそうで、アレン師匠らと同じようにチェック柄の服をよく着ていた感じだとクリスは言ってました。

後年、クレイノウ氏は、アルツハイマー病を煩い、療養施設に2006年から入院し、闘病中だったそうですが、54年間連れ添った妻アーネスティンさんや息子マーティン、アアロン、コスモ、娘アニタ、タミーを残して2007年1月6日にカリフォルニア州ペタルーマで亡くなられたそうです。


最後に生前のピーター・クレイノウ氏が映画「死霊のはらわた3」の為に骸骨をアニメートしている貴重なメイキング映像をYoutubeで見つけたので、御紹介。
サーフェイスゲージをモデルに当てるところ等、作業の様子が細かく撮られていたので、とてもタメになります。
皆さんも確認してみて!

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